| 商品名 | 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 | ||
| 銘 | 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 | 作者 | |
| 時代 | 江戸末期 | 伝来 | |
| 指定 | 特別保存刀剣 | 鑑定書 | |
| 価格 | |||
| 刃長 | 69.2cm | 反り | 1.6cm |
| 元幅 | 3.0cm | 元重 | |
| 先幅 | 2.2cm | 鋒長 | 3.3cm |
| 茎長 | 23.5cm | 茎反り | 穴1 |
| 形状 | 鎬造、庵棟、身幅やや広く、地沸つき、中鋒。 |
|
鍛
|
小板目肌よくつみ、地沸よくつき、地景入り、かね冴える。 |
| 刃文 | 具の目出来 |
| 帽子 | 乱れ込み小丸。 |
| 彫物 | なし |
| 茎 |
| 説明 |

| 商品名 | 特別保存刀剣 刀銘 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 | ||
| 銘 | 水心子正次(花押) 天保十二年仲春 | 作者 | |
| 時代 | 江戸末期 | 伝来 | |
| 指定 | 特別保存刀剣 | 鑑定書 | |
| 価格 | |||
| 刃長 | 69.2cm | 反り | 1.6cm |
| 元幅 | 3.0cm | 元重 | |
| 先幅 | 2.2cm | 鋒長 | 3.3cm |
| 茎長 | 23.5cm | 茎反り | 穴1 |
| 形状 | 鎬造、庵棟、身幅やや広く、地沸つき、中鋒。 |
|
鍛
|
小板目肌よくつみ、地沸よくつき、地景入り、かね冴える。 |
| 刃文 | 具の目出来 |
| 帽子 | 乱れ込み小丸。 |
| 彫物 | なし |
| 茎 |
| 説明 |

| 商品名 | 重要刀剣 談議所西蓮 | ||
| 銘 | 談議所西蓮 | 作者 | 筑前国西蓮 |
| 時代 | 鎌倉時代末期~南北朝時代初期 | 伝来 | |
| 指定 | 昭和56年12月1日 | 鑑定書 | 第28回重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 81.2㎝ | 反り | 2.3㎝ |
| 元幅 | 3.1㎝ | 元重 | |
| 先幅 | 1.9㎝ | 鋒長 | 3.2㎝ |
| 茎長 | 23.5㎝ | 茎反り | 0.4㎝ |
| 形状 | 鎬造、庵棟、腰反り高く、踏張りつき、中鋒。 |
|
鍛
|
板目肌、総体に柾がかって流れ、肌立ちて地沸つき、淡く白けごころがある。 |
| 刃文 | 直刃に小足入り、小沸つき、砂流しかかり、刃縁頻りにほつれ二重刃がかり、匂口は総じてうるみごころを呈す。 |
| 帽子 | 沸崩れごころに掃きかけかかる。 |
| 彫物 | 表裏に棒樋を掻き流す。 |
| 茎 | 生ぶ、先栗尻、鑢目不明、目釘穴三、佩表茎中央に大振りの五字銘がある。 |
| 説明 | 西蓮は筑前国談議所に仕えた刀工で、光山押形に「筑前博多談議所国吉法師西蓮」と長銘で文保元年紀の太刀を載せていることから、国吉と西蓮は同一人で、西蓮はその入道銘であることが知られる。彼は大左の祖父にあたるが、その作風は九州物の伝統的なもので、地は柾がかって流れ、白気が立ち、刃は直刃ほつれでうるみごころの匂口の弱いものである。この太刀は数少ない西蓮在銘の太刀で、生ぶ茎である点も貴重であり、地刃はその典型である。埋忠名鑑所載 |




| 商品名 | 第14回特別重要刀剣(一ッ葉葵紋)主馬首一平藤原朝臣安代 享保12年3月吉日於薩刕給黎郡作之 | ||
| 銘 | 主馬首一平藤原朝臣安代 | 作者 | 薩摩国主馬首一平安代 |
| 時代 | 江戸時代中期 | 伝来 | 阿波国蜂須賀家伝来 |
| 指定 | 平成8年5月29日 | 鑑定書 | 第14回特別重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 76.9㎝ | 反り | 1.5㎝ |
| 元幅 | 3.0㎝ | 元重 | |
| 先幅 | 2.2㎝ | 鋒長 | 3.8㎝ |
| 茎長 | 23.2㎝ | 茎反り | 0.1㎝ |
| 形状 | 鎬造、庵棟、身幅やや広く、元先の幅差あまり開かず、鎬高く、反り浅めにつき、中鋒。 |
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鍛
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小板目肌よくつみ、地沸厚くつき、地景いる。 |
| 刃文 | 中直刃浅く湾れごころをおび、匂深く、荒目の沸厚くつき、部分的に黒く地へこぼれ、金筋・沸筋かかる。 |
| 帽子 | 直に大丸、沸崩れごころとなる。 |
| 彫物 | |
| 茎 | 生ぶ。先栗尻、鑢目檜垣、目釘穴一、佩表鎺下棟寄りに一ツ葉葵紋と、目釘穴の下に同じく長銘があり、裏は目釘穴の下二行にわたって年紀と作刀地銘がある。 |
| 説明 | 一平安代は通称を玉置小市といい、一平安貞の長男として延宝8年に生まれた。初め父について鍛刀の技を修め、後には大和守安国にも師事したといわれる。享保6年八代将軍吉宗の命により、同国の正清と共に召し出されて江戸御浜殿で作刀、その技量を認められて幕府より茎に一葉葵紋を切ることを許るされた。さらに江戸よりの帰途、朝廷より主馬首に任ぜられている。彼は正清と並ぶ薩摩新刀の双璧であるが、正清がのたれに互の目・尖り刃等を交えた変化のある乱れ刃を得意とするのに対し、安代は穏やかなのたれ調の直刃を焼いて特色を示している。この刀は、地鉄は小板目肌が極めてよくつみ、刃文は中直刃調、沸が荒くつき、いわゆる薩摩の芋蔓と称される沸筋がかかるなど、一平安代の典型的作風をよくあらわしている。身幅が広く手持ちの重い豪壮な体配がよく、匂口は至って深く、光の強い沸が厚くつき、地刃共に明るく冴えた同作中の優品である。 |
| 商品名 | 重要美術品 太刀銘 雲生 上総国大多喜藩主 大河内家伝来 | ||
| 銘 | 雲生 | 作者 | 備前国宇甘郷 雲生 |
| 時代 | 鎌倉時代末期 | 伝来 | 上総国大多喜藩主 大河内家 |
| 指定 | 昭和9年3月20日 文部省 | 鑑定書 | 重要美術品 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 73.63糎 | 反り | 2.12糎 |
| 元幅 | 2.9糎 | 元重 | 0.55糎 |
| 先幅 | 1.8糎 | 鋒長 | 2.8糎 |
| 茎長 | 20.3糎 | 茎反り | 僅か |
| 形状 | 鎬造り、庵棟、身幅ほぼ尋常、磨上なれど反り高く、踏張り残り、元幅と先幅に開きあり、中鋒やや詰まる。 |
|
鍛
|
板目に杢交り、地班入り、総体に肌目が立ち、乱れ写り鮮明に立つ。 |
| 刃文 | 直刃調に浅くのたれかかり、小互の目と小丁子ごころの刃・角ばる刃など交り、処々楔状の尖り刃が見られ、逆足・葉頻りに入り、刃中淡く二重刃風を呈するところあり、小沸よくつき、砂流し・金筋かかる。 |
| 帽子 | 直ぐに大丸風で返りが短い。 |
| 彫物 | |
| 茎 | 磨上、先切り、鑢目大筋違、目釘孔二。 |
| 説明 | 雲生・雲次・雲重ら宇甘派の刀工は、皆その名に(雲)を冠するところから雲類と呼ばれる。宇甘の地は備前国でも長船より遥か西北方、備中国に近接する所に位置し、現在の御津郡御津町に当る。青江物の風情が加味されている点が興味深く、このことは上記の地理的な条件からも肯けよう。つまり、板目にめだって杢が交り肌目が立って地班を交える肌合や、写りを助成する暗帯部が判然としかも不規則に表れるところ、直刃に逆足を交え刃中に葉と滲んだような島刃が頻繁にかかる点、また刃方を厚く造込んだ茎・大筋違の鑢目・逆鏨の強調された銘字などは青江に共通するものである。しかし一方で輪反りの太刀姿や帽子を直ぐにいかにも丸く焼くところには京風が一部混在している点があって注目される。雲次には(備前国住雲次)・(備前国住人雲次)などの長銘と二字銘の双方が見られ、何れも目釘孔の下ほぼ中央に切るが、雲生には長銘は稀であり、多くは二字銘を目釘孔の上棟寄りに切るのが通常である。(校正古刀銘鑑)に拠れば、雲生には三代あって、初代を乾元頃、二代を文保頃、三代を貞治頃とし、初代雲生の子に初代雲次、二代雲生の子に初代雲重があり、以後雲次に三代、雲重には二代があったとしている。この系譜の細かな代別がどこまで正鵠かは明確にし難く,後考に俟つべきであるが、雲生で貞治頃と鑑せられる作は未だ見たことがない。雲生には年紀作が無いが、作風・銘振りから雲次よりも古びてみえるものが存在すること、雲次に正和・文保・建武の年紀があり、また雲重に文和・貞治・応安があることからして、年代的に雲生ー雲次ー雲重と言う流れは無理のなくぃところである。雲生と雲次の作風は当時の真長・景光などの長船派主流にも似るが、 野趣が感ぜられ、地刃の態および茎の状に備中例で、(生)を(雲)に比して右側に寄せて切る手癖が窺える。雲生の数少ない長銘(備前国住雲生)・(備前国宇甘郷雲生)・(雲生 備前国住人)を見ると、(国)の字のクニ構えの中が雲次や雲重の如く王や玉にならないのが知られる。雲生の刃文には焼きの低い手がある半面、本作のように焼きの目立って高ものもあり、雲生の見どころの一つとされる焼落しを見せるものは前者である。この太刀は上総国大多喜藩主、大河内家(持高二万石・子爵)に伝来したもので、雲生の特色をよく示し、出来栄え・保存ともに屈指の一口である。 広島城古刀名品展、日本刀大鑑古刀二177頁、刀影摘録772頁、木屋押型八折、 名品刀絵図聚成139頁、刀剣美術 昭和59年1月号口絵等所載 |


| 商品名 | 第34回 重要刀剣 荘司筑前大掾大慶直胤(花押) | ||
| 銘 | 荘司筑前大掾大慶直胤(花押) 文政6年仲春 | 作者 | 荘司筑前大掾大慶直胤(花押) |
| 時代 | 江戸時代末期 | 伝来 | |
| 指定 | 昭和63年4月14日 | 鑑定書 | 第34回 重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 66.4㎝ | 反り | 2.0㎝ |
| 元幅 | 2.75㎝ | 元重 | |
| 先幅 | 1.9㎝ | 鋒長 | 3.3㎝ |
| 茎長 | 19.0㎝ | 茎反り | 0.1㎝ |
| 形状 | 鎬造、庵棟、身幅尋常、元先の幅差つき、重ね厚く、反り深くつき、中鋒。 |
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鍛
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小板目肌つみ、処々杢交じり、地沸つき、細かに地景入り、幽かに映り立つ。 |
| 刃文 | 互の目に角がかった刃・丁子・尖りごころの刃など交じり、処々僅かに逆ごころがあり、あし長くよく入り、匂勝ち小沸つき、細かに砂流しかかり、金筋入り、総体に匂口うるみごころとなり、刃中明るく冴える。 |
| 帽子 | 乱れ込んで先尖りごころにやや深く返る。 |
| 彫物 | 表裏に棒樋を掻き通し、添樋を掻き流す。 |
| 茎 | 生ぶ、先栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘穴二、佩表目釘穴より三字上げて茎中央(平地)に長銘と花押があり、裏に同じく目釘穴から四字上げて年紀がある。 |
| 説明 | 直胤は、安永7年に出羽国山形に生まれ、本名庄司「(荘司)箕兵衛(美濃兵衛)と称し、大慶と号した。文政4年頃に筑前大掾を受領し、嘉永元年に上洛して美濃介に転じている。彼は若年の折に江戸に出て、水心子正秀の門に入り、後に、師と同様に秋元候に仕え、細川正義と共に水心子門下の逸材となった。水心子入門の時期については明らかでないが、彼が23才の時の作刀に「庄司直胤 寛政13年正月日」の銘があることから、これより2,3年前の寛政11,2年頃と推定っされ、文化初年頃に独立したと考えられる。安政4年5月7日、75才で没している。この刀は、直胤が最も得意とした備前伝の作柄であり、角がかった刃が目立ち、しかも処々逆ごころが見られるところなどから長船刀工、就中、景光・兼光を狙ったものであろうか。殊に刃中が明るく冴えた出来口で、彼の特色がよく示された典型作であり、同作中の優品である。 |

| 商品名 | 第39回 重要刀剣 美濃国藤原永貞 | ||
| 銘 | 美濃国藤原永貞 佐藤義問所持 元治元甲子年五月於東都作之 | 作者 | 美濃国藤原永貞 |
| 時代 | 江戸時代末期 | 伝来 | |
| 指定 | 平成5年11月5日 | 鑑定書 | 第39回重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 72.4㎝ | 反り | 1.4㎝ |
| 元幅 | 3.25㎝ | 元重 | |
| 先幅 | 2.4㎝ | 鋒長 | 4.1㎝ |
| 茎長 | 23.2㎝ | 茎反り | 僅か |
| 形状 | 鎬造、三ッ棟、身幅広く、重ね厚く、反り浅くつき、中鋒やや延びごころ。 |
|
鍛
|
小板目肌つみ、地沸厚くつき、地景細かにいる。 |
| 刃文 | 互の目乱れに大互の目・頭の丸い互の目・尖りごころの刃などが交じり、華やかに乱れ、足・葉さかんに入り、匂深く、沸よくつき、やや荒目の沸を交え、砂流しかかり、金筋入り、物打辺僅かに棟を焼き、匂口が明るい。 |
| 帽子 | 横手を焼き込んでのたれ込み、丸く深く返り、先掃きかけ,表沸くずれる。 |
| 彫物 | |
| 茎 | 生ぶ、先刃上がりごころの栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘穴一、指表目釘穴の下棟寄りに、大振りの長銘があり、裏に同じく年紀とその下に「於東都」の駐鎚地銘があり、その横平地に大振りの所持者銘がある。 |
| 説明 | 永貞は、本名を松井治一郎と称し、文化6年、美濃国不破郡(現在の岐阜県垂井町表佐一色四番屋敷)に松井直三郎の子として生まれた。彼は、一時、紀州徳川家の御用鍜治として紀州に移住したと伝えられ、また、万延元年頃には伊勢国田丸に於いても鍛刀した。その後文久2年頃、江戸青山に住して作刀し、明治2年、60才で没したといわれる。なお、普段の銘文に見られる「御勝山麓」といったものと思われる。この刀は、身幅が広く、重ね厚で、反りが浅く、中鋒が延びごころとなった、ガッチリとした豪壮な造込みを見せており、新々刀の特徴的な姿恰好を呈しているが、とりわけ本作のように三ッ棟の多いところにこの工の特色が示されている。刃文は互の目乱れに大互の目・頭の丸い互の目・尖りごころの刃などが交じり、足・葉がさかんに入り、匂深く、沸がよくつき、荒目の沸を交え、金筋・砂流しかかるなど、清麿一門に見紛う作柄をあらわしている。担し、刃中に、清麿一門によく見受けられる丁子がかった刃や角ばる互の目などは見られず、むしろ大互の目や頭の丸い互の目等が目立ち、帽子も先が丸く返っているところなどに、清麿一門とは異なった同工の見どころが窺われる。同作中でも華やかな作域を示した出色の一口で匂深くで、沸がむらなくよくついて、匂口が明るい点が特筆され、加うるに地刃ともに健全であることも好ましい。 |

| 商品名 | 第11回 重要刀剣 出羽大掾藤原国路(刀) | ||
| 銘 | 出羽大掾藤原国路 | 作者 | 出羽大掾藤原国路 |
| 時代 | 江戸時代初期 | 伝来 | |
| 指定 | 昭和38年10月25日 | 鑑定書 | 第11回重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 2尺1寸9分(66.36㎝) | 反り | 6分5厘(1.97㎝) |
| 元幅 | 1寸1分2厘(3.39㎝) | 元重 | |
| 先幅 | 8分7厘(2.64㎝) | 鋒長 | 1寸8分5厘(5.6㎝) |
| 茎長 | 5寸6分5厘(17.1㎝) | 茎反り | 5厘(0.15㎝) |
| 形状 | 鎬造、庵棟、身幅広く反り浅く先反ややつき、中鋒大きく延びる。 |
|
鍛
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板目に杢交り、ザングリとして肌立ちごころに地沸つく。 |
| 刃文 | 湾れに大互の目、互の目、丁字などを交え、飛び焼かかり、砂流ししきりに金筋入り、匂深く匂口よく冴えて小沸よくつく。 |
| 帽子 | 浅く湾れごころに掃きかけ、三品帽子風に、先尖って強く返 |
| 彫物 | 表棒樋、裏二筋樋、ともに掻流す。 |
| 茎 | 生ぶ、先浅い栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴一、表、平に下の方次第に大振りの八字銘がある。 |
| 説明 | 出羽大掾藤原国路は堀川国広の門人で、脅威川辺に住したという。邦弘一門中では、作域が最も広く、種々の作風を見せているが、 この刀は志津の風を写して出来が最も優れている一口である。製作年代はその銘振りから見て元和七八年頃の作鑑せられる。但し同作中の白眉である。因に国路は慶長十九年から同二十年までの間に受領したと思われ、この銘振りのものは元和七八年頃の作である。 |




| 商品名 | 第38回 重要刀剣 無銘伝 甘呂俊長 | ||
| 銘 | 無銘 | 作者 | 近江国甘呂俊長 |
| 時代 | 南北朝時代 | 伝来 | |
| 指定 | 平成4年10月30日 | 鑑定書 | 第38回 重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 70.55㎝ | 反り | 1.8㎝ |
| 元幅 | 3.0㎝ | 元重 | |
| 先幅 | 2.3㎝ | 鋒長 | 7.5㎝ |
| 茎長 | 19.9㎝ | 茎反り | 0.2㎝ |
| 形状 | 鎬造、庵棟、身幅広め、反りややつき、大鋒。 |
|
鍛
|
板目に杢交じり、やや肌立ち、地沸つく。 |
| 刃文 | 中直刃調に小互の目交じり、小足入り、処々ほつれ、小沸つ |
| 帽子 | 浅くのたれて、先頻りに掃きかける。 |
| 彫物 | 表裏に二筋樋を掻き流す。 |
| 茎 | 大磨上、先剣形、鑢目勝手下がり、目釘穴二、無銘。 |
| 説明 | 甘呂俊長は古来高木貞宗の門人と伝えられている。現存する有銘作は太刀・短刀ともにあるが、これらを見るに鍛えには柾気があり、刃文はほつれて二重刃かかり、帽子も掃きかけるなどして総体に大和気質が見られるところに特徴がある。この刀は中直刃調に小互の目を交え、小沸つき、処々ほつれを見せ、特に浅くのたれ込んだ帽子は沸ずいて頻りに掃きかけ、一見高木貞宗風でそれに大和色が加味された出来となっており、甘呂俊長と鑑するのが妥当である。渋味のある中にも、ほつれ・飛焼・湯走りなどの細かな働きが見られ、見所の多い作品である。 |


| 商品名 | 第33回 重要刀剣 備前国長船右京亮勝光・左京進宗光 | ||
| 銘 | 備前国住長船右京亮勝光同左京進宗光児嶋ニテ作 文明16年甲辰8月吉日 | 作者 | 備前国長船右京亮勝光・左京進宗光 |
| 時代 | 室町時代中期 | 伝来 | 赤松家、戦勝祈願の作刀 |
| 指定 | 昭和62年3月25日 | 鑑定書 | 第33回重要刀剣 |
| 価格 | |||
| 刃長 | 53.2㎝ | 反り | 1.2㎝ |
| 元幅 | 2.8㎝ | 元重 | |
| 先幅 | 1.9㎝ | 鋒長 | 3.3㎝ |
| 茎長 | 12.9㎝ | 茎反り | 僅か |
| 形状 | 鎬造、庵棟、重ね厚く、寸つまり、先く返りつき、中鋒。 |
|
鍛
|
小板目肌つみ、地沸細かによくつき、地景入り、淡く映り立 |
| 刃文 | 直刃を基調に処々浅くのたれて、小互の目ごころを交え、足・葉入り、ほつれ、細かに砂流しかかり、匂口しまりごころに沸つく。 |
| 帽子 | 焼深く、直ぐごころに丸く長く焼き下げる。 |
| 彫物 | 表裏腰元、鎬筋を中心に、表は倶利伽羅、裏は梵字・その下に三鈷剣。 |
| 茎 | 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、指表に「勝光」・「宗光」の合作銘と駐槌地を二行に切り分け、裏棟寄りに年紀がある。 |
| 説明 | 長船右京亮勝光は次郎左衛門尉勝光の父といわれ、左京進宗光は右京亮勝光の弟と伝えてる刀工であるが本作はこれら兄弟が合作したものである。この刀は、身幅尋常中鋒で、重ねが厚く、寸つまり、先反りのついた体配で、室町末期という時代よく示した打刀の造込み、を呈している。地鉄は小板目がつんで、地沸が細かによくつき、淡く映り立ち、刃文は直刃を基調に小互の目ごころを交え、足・葉が入り、匂口しまりごころに小沸がつき、帽子は焼深く直ぐごころに丸く長く返るなど末備前の作風を示しているが、とりわけ、忠光などによく見られる作柄である。また、表裏に施された彫物も同派の特色をよくあらわして見事である。なお、銘文に見る児嶋は備前の地であり、ここで彼らが駐槌したものである。両者の合作刀で、文明十六年の後期頃から同十九年の前期頃にかけての、ままこの児嶋打が見られるが、さらに、この間、備中の草壁でも駐槌したものも経眼する。この児嶋打の一口も、彼らの動向を知る上において一助となる貴重な資料である。合戦に敗れて赤松政則は近畿へ敗走、勝光・宗光は細川領の児嶋に逃げ込みここで赤松政則の戦勝祈願をして作刀した刀と脇指です。 |



