重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光児島

商品名 第26回 重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光児島作
備前国住長船勝光宗光児島ニテ作文明16年甲辰8月吉日 作者 備前国長船右京亮勝光、左京進宗光児島作
時代 室町時代中期 伝来 赤松家、勝光・宗光が戦勝祈願に作刀
指定 昭和54年3月2日 鑑定書 第26回重要刀剣
価格
刃長 74.1㎝ 反り 2.0㎝
元幅 2.9㎝ 元重
先幅 1.9㎝ 鋒長 3.5㎝
茎長 16.2㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、寸長く先反りやや深く、中鋒。
板目肌、地景入り、地沸つく。
刃文 直刃僅かに互の目交じり、小沸つく。
帽子 直ぐに丸く返る。
彫物 表裏、丸止の棒樋。
生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、指表、二行に長銘、裏棟寄りに文明年紀がある。
説明 末備前の代表工勝光・宗光兄弟の児嶋駐槌の一口で、俗名はないが、それぞれ右京亮勝光と左京進宗光である。地がねは地景を交じえたは板目で地沸が細かによくつき、刃文は僅かに互の目交じりの直刃で小沸がつき、帽子は直ぐに先丸く返っている。出来のよさも然る事ながら、銘文の資料価値も高い。  合戦に敗れて赤松政則は近畿へ敗走、勝光・宗光は細川領の児嶋に逃げ込みここで赤松政則の戦勝祈願をして作刀した刀と脇指です。

重要刀剣 金象嵌銘 兼光

商品名 第36回 重要刀剣 金象嵌銘 兼光(刀)
金象嵌銘 兼光 作者 備前国長船兼光
時代 南北朝時代前期 伝来
指定 平成2年5月25日 鑑定書 第36回重要刀剣
価格
刃長 72.3㎝ 反り 1.9㎝
元幅 3.1㎝ 元重
先幅 2.3㎝ 鋒長 4.3㎝
茎長 22.1㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅広く、中鋒延びる。
板目肌、杢交じり、肌、立ちごころに地沸つき、乱れ映り立つ。
刃文 小のたれを主体に小互の目交じり、小足入り、金筋・砂流しかかり、小沸よくつく。
帽子 浅くのたれ込み、小丸やや突き上げごころに返り、先掃きかける。
彫物 表裏に棒樋を掻き流す。
大磨上、先栗尻、鑢勝手下り、目釘穴二、指表目釘穴の下中央に「兼光」と金象嵌銘がある。
説明 備前長船の金光は長光・傾向に続く長船の嫡流であり、南北朝時代を代表する投稿である。昨冬期間は元亨から応安にかけての50年の長きにわたっているが、ほぼ康永頃を境に作風が大別され、以前は景光風を継承したもの、以後はのたれを多く焼いて沸気のあるものがみられる。この刀は身幅が広く大鋒の南北朝期の豪壮な姿を示し、地刃に兼光の特色がみられて本阿弥琳雅の極めは首肯され、健全な作である。時代の外装1、現代の名工の外装1があります。

重要刀剣 川部儀八郎藤原正秀

商品名 第11回 重要刀剣 川部儀八郎藤原正秀
川部儀八郎藤原正秀 応長谷川次則需作之 寛政元年8月日 作者 水心子正秀
時代 江戸時代後期 伝来
指定 昭和36年10月25日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 2尺3寸5分(71.2㎝) 反り 4分5厘(1.36㎝)
元幅 9分8厘(2.97㎝) 元重
先幅 6分8厘(2.06㎝) 鋒長 1寸1分(3.33㎝)
茎長 7寸8分(23.6㎝) 茎反り
形状 鎬造、庵棟、反り浅く、中鋒。
小板目肌よくつみ、地沸よくつく。
刃文 広直刃調に浅くのたれて足入り、匂深く、小沸よくつき冴える。
帽子 直ぐに先小丸、掃きかけかかる。
彫物
生ぶ、先刃上栗尻、鑢目筋違、化粧鑢かかる、目釘穴二、一ッは忍穴、指表に長銘、裏に注文主銘及び年紀がある。
説明 水心子正秀は川部儀八郎と称し、姓は藤原、始め武州下原鍜治吉英に学んで鈴木宅英又英国と称したが、安政3年正秀と改め、正日出、正日天、などと洒落銘もある。山形秋元家に仕え、後に江戸浜町に移った。正秀はいわゆる復古刀の説を唱えて、刀はすべて鎌倉の昔に復すべきであるとし、自らも備前伝或いは相州伝の作を試みているが技倆は弟子の大慶直胤に及ばない。天明・寛政・享和のころは主として、大阪新刀に私淑し、或いは津田助廣の濤瀾乱れとか、或いは井上真改の直刃丁子などを焼いて大いに成功している。この刀も真改写しの傑作で殆んど本科に迫るものがある。強いてその相違点を挙げれば、水心子の作は一般に平肉が乏しくペシャンとした感じがあり、必ず鋒が延びごころとなり、また地がねも綺麗ではあるが、黒ずんだ荒沸がつき、めくらがねに近く、刃も匂深く明るく冴えてはいるが、どこかに荒沸がつくところがあるなどの点にある。

重要刀剣 無銘 延寿

 

商品名 重要刀剣 無銘 延寿
無銘 延寿 作者 延寿一門の作
時代 南北朝時代前期 伝来  
指定 昭和41年4月20日 鑑定書 重要刀剣
価格  
刃長 2尺3寸6分(71.5㎝) 反り 7分(2.1㎝)
元幅 1寸2厘(3.1㎝) 元重  
先幅 7分2厘(2.18㎝) 鋒長 1寸2分(3.6㎝)
茎長 6寸8分(20.6㎝) 茎反り 僅か
形状 鎬造、庵棟、反りやや高く、中鋒延びる。
小板目、葉より、柾係、肌立ちこころに地班交り、鎬寄り、白ける。
刃文 細直刃、匂口しまりごころに小沸つき、僅かにほつれる。
帽子 直ぐに先大丸。
彫物 表裏棒樋に丸止め。
大磨上、先切、鑢目勝手上がり、目釘穴二、中一つ埋、無銘。
説明 この刀は大磨上無銘で延寿と伝えられる。延寿一派は鎌倉末期に山城の来から分派したものである。この刀は鋒がやや延びており、刃文は直刃にほつれごころがあり、また鍛に柾ごころがあるなどから南北朝期の延寿一門の作と鑑せられる。地刃の出来はよい。

 

重要刀剣 国広

商品名 重要刀剣 国広
国広 作者 山城国 国広
時代 安土桃山時代 伝来 飫肥 伊東家伝来
指定 昭和59年10月18日 鑑定書 第31回重要刀剣
価格  
刃長 70.85㎝ 反り 1.0㎝
元幅 3.0㎝ 元重  
先幅 2.1㎝ 鋒長 4.2㎝
茎長 21.1㎝ 茎反り なし
形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、反り浅く、中鋒延びる。
板目に杢目交じり、処々流れて肌立ち、地沸つき、地景いる。
刃文 浅い小のたれを主調に小互の目・尖りごころの刃など交じり、総じて焼巾狭く、処々足入り、沸よくつき、ほつれ、砂流し・金筋かかり、匂口沈みごころとなる。
帽子 さかんに掃きかけ火焔風となる。
彫物  
磨上、先切り、鑢目筋違、目釘穴二、指表元穴の下、棟寄りに二字銘がある。
説明 国広は、もと九州日向の飫肥の城主であった伊東家に仕えた武士で、同家が没落したのち、諸国を遍歴しつつ、鍛刀の技術を磨き、その間各地で作刀した。慶長4年以後は、京都一条堀川に定住し、多くのすぐれた子弟を育て、慶長19年に没したといわれる。彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作には末相州や末関のものが見られ、定住後は、それらのものと作風を異にして、相州上工に範をとったと思われるものが多い。この刀は、常に見る国広の作に比べ、華やかさがなく地味ではあるが、浅い小のたれを主調に小互の目・尖りごころの刃などを交え、沸よくつき、砂流し・金筋がかかるなど志津風を感じさせるものがある。定住後のいわゆる「堀川打」の作例であり、国広の一作風を示している。

重要刀剣 兼國

商品名 重要刀剣 兼國
兼國 作者 美濃国兼國
時代 室町時代応永頃 伝来  
指定 昭和42年2月10日 鑑定書 第15回重要刀剣
価格  
刃長 68.0㎝ 反り 1.8㎝
元幅 3.05㎝ 元重  
先幅 2.2㎝ 鋒長 4.2㎝
茎長 17.2㎝ 茎反り 僅か
形状 鎬造、庵棟、先反りつき、反り浅く、中鋒延びる。
板目肌流れごころとなり、地沸つき、白け映り立つ。
刃文 小のたれ、小互の目、尖り刃など交じり、葉入り、沸つき、匂口沈みごころとなる。
帽子 表小丸ごころ、掃きかける。裏乱れて先尖りごころに返る。
彫物  
生ぶ、先栗尻、鑢目、鷹の羽、目釘穴二、指表、棟寄りに二字銘がある。
説明 室町時代における美濃物は備前に次いで多く、前時代の志津、直江のほかに関、蜂屋、赤坂、清水などにも刀工が多く、末期には、関がその中心であった。この作は直江派の兼國の作であり、同名中時代も応永は下らないものと鑑られ、出来もよい。

重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代)

商品名 重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代)
(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 作者 江戸三代康継
時代 江戸時代中期 伝来
指定 平成2年5月25日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 71.4㎝ 反り 1.4㎝
元幅 3.05㎝ 元重
先幅 2.0㎝ 鋒長 3.2㎝
茎長 22.65㎝ 茎反り 殆どなし
形状 鎬造、庵棟、身幅広く 、元先の幅差つき、ソリューション浅く、中鋒つまる。
小板目肌よくつみ、処々杢交じり、地沸微塵に厚くつき、細かに地景入り、総じて黒味がある。
刃文 直に焼きだして、その上は小のたれに頭の丸い互の目連れて交じり、足よく入り、匂深く、沸よくつき、細かに砂流しかかる。
帽子 直ぐに小丸に深く返り、先掃きかける。
彫物
生ぶ、先入山形、鑢目勝手下がり、目釘穴一、指表鎺下やや棟寄りに葵紋をきり、その下同じくやや棟寄りに目釘穴から一字上げて、細鏨大振りの長銘がある。
説明 江戸三代康継は、二代康継の嫡子として生まれ、右馬助と称したと云う。父二代康継が没した時、彼は僅か17歳の若さであった。その為に、初代康継の三男四郎右衛門を以て、三代を相続させようという一派があって、家督相続の問題がおこったが、二代の実子右馬助を三代目とし、叔父四郎右衛門は越前家を相続することで決着し、ここに江戸と越前との両下坂家が分かれ、以後それぞれ定住奉公するに至った。江戸三代康継の作刀には寛文年紀のものがあるが、その没年は不明である。彼の作風は、初・二代康継の覇気に富んでやや荒々しい出来に比べ、おとなしく、通常は直刃を主調に浅くのたれをおびたものが、小のたれに互の目を交えたものとなり、いずれも小足が入り、匂深く、沸がよくつくものである。この刀は、小のたれに頭の丸い互の目を連れて交えた乱れ刃で、右の作風の後者の好例である。殊に、初・二代の康継に比して、鍛えがつまって綺麗であり、沸もむらなくよくつき、匂口はむしろ明るいなど、江戸三代康継の持ち味がよく示されている。また、本作は元を直ぐに焼出しているが、彼のこの手の作にはまま経眼するもので、これも初・二代の康継には見られない同工の特色といえよう。上品で穏やかな作域をあらわした同作中の優品である。

重要刀剣 無銘 雲次

商品名 重要刀剣 無銘 雲次
無銘 雲次 作者 備前国 雲次
時代 鎌倉時代末期 伝来
指定 昭和60年10月30日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 66.5㎝ 反り 2.5㎝
元幅 2.8㎝ 元重
先幅 2.0㎝ 鋒長 3.4㎝
茎長 16.1㎝ 茎反り 0.1㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅やや広く、中反りごころ、中鋒。
板目やや肌立ち、地沸つき、地班交じり、乱れた映り立つ。
刃文 広直刃調に互の目・丁字・ぎゃく丁字ごころなど交じり、足・葉頻りに入り、砂流しかかり、匂口の締りごころに小沸つく。
帽子 直ぐに立ちごころとなり、先丸く返る。
彫物 表裏に棒樋を掻き通す。
大磨上、先深い栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、無銘。
説明 雲生・雲次・雲重らの刀工は備前国宇甘荘に在住し作刀したが、いずれも名前に「雲」の字を冠するところから雲類と呼称されている。彼らの作風は備前物中異色で、山城物(とりわけ来派)あるいは隣国の備中青江派の風情が見られる。雲次には正和四年・文保二年・建武二年の年紀が見られることから、その活躍期は鎌倉時代末期乃至南北朝期初頭であることが知られる。この刀は一見青江風もあるが、指で押したような暗部の目立つ映りが立ち、姿が大磨上乍らも輪反り風が窺われること、また帽子がいかにも丸い点などを考慮すれば雲次と鑑するのが妥当である。前田家に伝来した一口である。時代の外装である半太刀拵が付随する。

重要刀剣 太刀銘  藤嶋友重

 

商品名  重要刀剣 太刀銘 藤嶋友重
藤嶋友重 作者 藤嶋友重
時代 南北朝時代末期~室町時代初期 伝来 津山藩松平家家老
指定 平成5年11月5日 鑑定書 第39回重要刀剣
価格  
刃長 64.2㎝ 反り 1.8㎝
元幅 2.9㎝ 元重  
先幅 2.0㎝弱 鋒長 3.5㎝
茎長 16.3㎝ 茎反り 0.3㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、反りややつき、中鋒少し延びごころ。
板目、僅かに杢目交じり、処々流れて地景入り、地沸よくつき。
刃文 互の目乱れ、処々箱刃風となり、足・葉入り、処々僅かに砂流しかかり、沸つき、飛焼かかる。
帽子 直ぐに掃気かけ、表は焼きづめ、裏は小丸。
彫物 表裏に棒樋を丸止め。
生ぶ、先刃上り栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、佩表棟寄りにやや太鏨の四字銘がある。
説明 この太刀は室町時代初頭の応永を下らぬものと鑑せられ、同工の作風の特色を顕著に示した典型作で、しかも出来が優れている。生ぶの時代の外装がある。

 

重要刀剣 刀銘 越中守正俊 谷干城将軍所持

商品名  重要刀剣 刀銘 越中守正俊 谷干城将軍所持
越中守正俊 作者 山城国三品系越中守正俊
時代 江戸初期 伝来 谷干城将軍所持
指定 昭和39年6月30日 鑑定書 第12回重要刀剣
価格
刃長 2尺4寸3分半(73.78㎝) 反り 5分(1.5㎝)
元幅 1寸3厘(3.12㎝) 元重
先幅 7分4厘(2.24㎝) 鋒長 1寸5分(4.55㎝)
茎長 6寸9分半(21.05㎝) 茎反り 僅か
形状 鎬造、庵棟、反浅く、中鋒延びる。
小板目肌つみ、地沸つく。
刃文 互の目、尖り刃、飛び焼交り、砂流し頻りとかかり、沸つく。
帽子 浅く湾れて先小丸に返る。
彫物
生ぶ、先栗尻、鑢目筋違、目釘穴二、表棟寄りに五字銘がある。
説明 越中守正俊は、三品系の祖兼道の子で、三兄伊賀守金道、和泉守金道、丹波守金道等とともに、美濃から京に移住し、新刀京鍜治の有力な一派として活躍した。四人の兄弟中では末弟であるが、その器用さは兄弟中第一で、本国美濃風の作の他に、相州伝の皆焼、大和伝の柾鍛に直刃など作域が広く、しかも地刃の出来が見事である。この刀は美濃風の作であるが、純然たる美濃ではなく、越中守らしい変化に富んだ作風を示しいている。しかも最も見どころは帽子であって、僅かに湾れ込んで先が尖ったいわゆる三品帽子の典型である。

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