重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光(脇指)

商品名 第33回 重要刀剣 備前国長船右京亮勝光・左京進宗光
備前国住長船右京亮勝光同左京進宗光児嶋ニテ作 文明16年甲辰8月吉日 作者 備前国長船右京亮勝光・左京進宗光
時代 室町時代中期 伝来 赤松家、戦勝祈願の作刀
指定 昭和62年3月25日 鑑定書 第33回重要刀剣
価格
刃長 53.2㎝ 反り 1.2㎝
元幅 2.8㎝ 元重
先幅 1.9㎝ 鋒長 3.3㎝
茎長 12.9㎝ 茎反り 僅か
形状 鎬造、庵棟、重ね厚く、寸つまり、先く返りつき、中鋒。
小板目肌つみ、地沸細かによくつき、地景入り、淡く映り立
刃文 直刃を基調に処々浅くのたれて、小互の目ごころを交え、足・葉入り、ほつれ、細かに砂流しかかり、匂口しまりごころに沸つく。
帽子 焼深く、直ぐごころに丸く長く焼き下げる。
彫物 表裏腰元、鎬筋を中心に、表は倶利伽羅、裏は梵字・その下に三鈷剣。
生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、指表に「勝光」・「宗光」の合作銘と駐槌地を二行に切り分け、裏棟寄りに年紀がある。
説明 長船右京亮勝光は次郎左衛門尉勝光の父といわれ、左京進宗光は右京亮勝光の弟と伝えてる刀工であるが本作はこれら兄弟が合作したものである。この刀は、身幅尋常中鋒で、重ねが厚く、寸つまり、先反りのついた体配で、室町末期という時代よく示した打刀の造込み、を呈している。地鉄は小板目がつんで、地沸が細かによくつき、淡く映り立ち、刃文は直刃を基調に小互の目ごころを交え、足・葉が入り、匂口しまりごころに小沸がつき、帽子は焼深く直ぐごころに丸く長く返るなど末備前の作風を示しているが、とりわけ、忠光などによく見られる作柄である。また、表裏に施された彫物も同派の特色をよくあらわして見事である。なお、銘文に見る児嶋は備前の地であり、ここで彼らが駐槌したものである。両者の合作刀で、文明十六年の後期頃から同十九年の前期頃にかけての、ままこの児嶋打が見られるが、さらに、この間、備中の草壁でも駐槌したものも経眼する。この児嶋打の一口も、彼らの動向を知る上において一助となる貴重な資料である。合戦に敗れて赤松政則は近畿へ敗走、勝光・宗光は細川領の児嶋に逃げ込みここで赤松政則の戦勝祈願をして作刀した刀と脇指です。

重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光児島

商品名 第26回 重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光児島作
備前国住長船勝光宗光児島ニテ作文明16年甲辰8月吉日 作者 備前国長船右京亮勝光、左京進宗光児島作
時代 室町時代中期 伝来 赤松家、勝光・宗光が戦勝祈願に作刀
指定 昭和54年3月2日 鑑定書 第26回重要刀剣
価格
刃長 74.1㎝ 反り 2.0㎝
元幅 2.9㎝ 元重
先幅 1.9㎝ 鋒長 3.5㎝
茎長 16.2㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、寸長く先反りやや深く、中鋒。
板目肌、地景入り、地沸つく。
刃文 直刃僅かに互の目交じり、小沸つく。
帽子 直ぐに丸く返る。
彫物 表裏、丸止の棒樋。
生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、指表、二行に長銘、裏棟寄りに文明年紀がある。
説明 末備前の代表工勝光・宗光兄弟の児嶋駐槌の一口で、俗名はないが、それぞれ右京亮勝光と左京進宗光である。地がねは地景を交じえたは板目で地沸が細かによくつき、刃文は僅かに互の目交じりの直刃で小沸がつき、帽子は直ぐに先丸く返っている。出来のよさも然る事ながら、銘文の資料価値も高い。  合戦に敗れて赤松政則は近畿へ敗走、勝光・宗光は細川領の児嶋に逃げ込みここで赤松政則の戦勝祈願をして作刀した刀と脇指です。

重要刀剣 金象嵌銘 兼光

商品名 第36回 重要刀剣 金象嵌銘 兼光(刀)
金象嵌銘 兼光 作者 備前国長船兼光
時代 南北朝時代前期 伝来
指定 平成2年5月25日 鑑定書 第36回重要刀剣
価格
刃長 72.3㎝ 反り 1.9㎝
元幅 3.1㎝ 元重
先幅 2.3㎝ 鋒長 4.3㎝
茎長 22.1㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅広く、中鋒延びる。
板目肌、杢交じり、肌、立ちごころに地沸つき、乱れ映り立つ。
刃文 小のたれを主体に小互の目交じり、小足入り、金筋・砂流しかかり、小沸よくつく。
帽子 浅くのたれ込み、小丸やや突き上げごころに返り、先掃きかける。
彫物 表裏に棒樋を掻き流す。
大磨上、先栗尻、鑢勝手下り、目釘穴二、指表目釘穴の下中央に「兼光」と金象嵌銘がある。
説明 備前長船の金光は長光・傾向に続く長船の嫡流であり、南北朝時代を代表する投稿である。昨冬期間は元亨から応安にかけての50年の長きにわたっているが、ほぼ康永頃を境に作風が大別され、以前は景光風を継承したもの、以後はのたれを多く焼いて沸気のあるものがみられる。この刀は身幅が広く大鋒の南北朝期の豪壮な姿を示し、地刃に兼光の特色がみられて本阿弥琳雅の極めは首肯され、健全な作である。時代の外装1、現代の名工の外装1があります。

重要刀剣 川部儀八郎藤原正秀

商品名 第11回 重要刀剣 川部儀八郎藤原正秀
川部儀八郎藤原正秀 応長谷川次則需作之 寛政元年8月日 作者 水心子正秀
時代 江戸時代後期 伝来
指定 昭和36年10月25日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 2尺3寸5分(71.2㎝) 反り 4分5厘(1.36㎝)
元幅 9分8厘(2.97㎝) 元重
先幅 6分8厘(2.06㎝) 鋒長 1寸1分(3.33㎝)
茎長 7寸8分(23.6㎝) 茎反り
形状 鎬造、庵棟、反り浅く、中鋒。
小板目肌よくつみ、地沸よくつく。
刃文 広直刃調に浅くのたれて足入り、匂深く、小沸よくつき冴える。
帽子 直ぐに先小丸、掃きかけかかる。
彫物
生ぶ、先刃上栗尻、鑢目筋違、化粧鑢かかる、目釘穴二、一ッは忍穴、指表に長銘、裏に注文主銘及び年紀がある。
説明 水心子正秀は川部儀八郎と称し、姓は藤原、始め武州下原鍜治吉英に学んで鈴木宅英又英国と称したが、安政3年正秀と改め、正日出、正日天、などと洒落銘もある。山形秋元家に仕え、後に江戸浜町に移った。正秀はいわゆる復古刀の説を唱えて、刀はすべて鎌倉の昔に復すべきであるとし、自らも備前伝或いは相州伝の作を試みているが技倆は弟子の大慶直胤に及ばない。天明・寛政・享和のころは主として、大阪新刀に私淑し、或いは津田助廣の濤瀾乱れとか、或いは井上真改の直刃丁子などを焼いて大いに成功している。この刀も真改写しの傑作で殆んど本科に迫るものがある。強いてその相違点を挙げれば、水心子の作は一般に平肉が乏しくペシャンとした感じがあり、必ず鋒が延びごころとなり、また地がねも綺麗ではあるが、黒ずんだ荒沸がつき、めくらがねに近く、刃も匂深く明るく冴えてはいるが、どこかに荒沸がつくところがあるなどの点にある。