重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代)

商品名 重要刀剣(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之(江戸三代)
(葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸作之 作者 江戸三代康継
時代 江戸時代中期 伝来
指定 平成2年5月25日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 71.4㎝ 反り 1.4㎝
元幅 3.05㎝ 元重
先幅 2.0㎝ 鋒長 3.2㎝
茎長 22.65㎝ 茎反り 殆どなし
形状 鎬造、庵棟、身幅広く 、元先の幅差つき、ソリューション浅く、中鋒つまる。
小板目肌よくつみ、処々杢交じり、地沸微塵に厚くつき、細かに地景入り、総じて黒味がある。
刃文 直に焼きだして、その上は小のたれに頭の丸い互の目連れて交じり、足よく入り、匂深く、沸よくつき、細かに砂流しかかる。
帽子 直ぐに小丸に深く返り、先掃きかける。
彫物
生ぶ、先入山形、鑢目勝手下がり、目釘穴一、指表鎺下やや棟寄りに葵紋をきり、その下同じくやや棟寄りに目釘穴から一字上げて、細鏨大振りの長銘がある。
説明 江戸三代康継は、二代康継の嫡子として生まれ、右馬助と称したと云う。父二代康継が没した時、彼は僅か17歳の若さであった。その為に、初代康継の三男四郎右衛門を以て、三代を相続させようという一派があって、家督相続の問題がおこったが、二代の実子右馬助を三代目とし、叔父四郎右衛門は越前家を相続することで決着し、ここに江戸と越前との両下坂家が分かれ、以後それぞれ定住奉公するに至った。江戸三代康継の作刀には寛文年紀のものがあるが、その没年は不明である。彼の作風は、初・二代康継の覇気に富んでやや荒々しい出来に比べ、おとなしく、通常は直刃を主調に浅くのたれをおびたものが、小のたれに互の目を交えたものとなり、いずれも小足が入り、匂深く、沸がよくつくものである。この刀は、小のたれに頭の丸い互の目を連れて交えた乱れ刃で、右の作風の後者の好例である。殊に、初・二代の康継に比して、鍛えがつまって綺麗であり、沸もむらなくよくつき、匂口はむしろ明るいなど、江戸三代康継の持ち味がよく示されている。また、本作は元を直ぐに焼出しているが、彼のこの手の作にはまま経眼するもので、これも初・二代の康継には見られない同工の特色といえよう。上品で穏やかな作域をあらわした同作中の優品である。

重要刀剣 備州長船祐定 永正6年2月日

商品名 重要刀剣 備州長船祐定 永正6年2月日
備州長船祐定 永正6年2月日 作者 永正祐定
時代 室町時代中期 伝来  
指定 昭和56年12月1日 鑑定書 重要刀剣
価格  
刃長 68.3㎝ 反り 2.7㎝
元幅 2.8㎝ 元重  
先幅 1.95㎝ 鋒長 3.0㎝
茎長 13.6㎝ 茎反り 殆どなし
形状 鎬造、庵棟、やや細身で反り深く、先反りつき、中鋒。
板目よく錬れ、地沸つき、地景入り、極く淡く乱れ映り立つ。
刃文 腰開きの互の目乱れに丁字を交え、総体にやや小模様に乱れ、足・葉入り、小沸つき、砂流し・金筋かかり、僅かに飛焼入る。
帽子 焼深く、乱れ込み先尖りごころに返る。
彫物 表に草の倶利伽羅、裏に八幡大菩薩の文字と梵字の陰刻。
生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴一、指表棟寄りに長銘、裏に同じく年紀がある。
説明 永正6年紀のある祐定の刀である。この時代のものにしては細身で反りがたかくつき一見太刀姿に見えるが、先反りが強いところに時代を示しており、地は板目よく錬れて地沸がつき地景入り鉄が強く見え、刃は常よりも小模様で腰開きの互の目に丁字を交え小沸ずいている。俗名を冠してはいないが入念の作であり、表裏の彫物も逞しく上手である。

 

重要刀剣 無銘 雲次

商品名 重要刀剣 無銘 雲次
無銘 雲次 作者 備前国 雲次
時代 鎌倉時代末期 伝来
指定 昭和60年10月30日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 66.5㎝ 反り 2.5㎝
元幅 2.8㎝ 元重
先幅 2.0㎝ 鋒長 3.4㎝
茎長 16.1㎝ 茎反り 0.1㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅やや広く、中反りごころ、中鋒。
板目やや肌立ち、地沸つき、地班交じり、乱れた映り立つ。
刃文 広直刃調に互の目・丁字・ぎゃく丁字ごころなど交じり、足・葉頻りに入り、砂流しかかり、匂口の締りごころに小沸つく。
帽子 直ぐに立ちごころとなり、先丸く返る。
彫物 表裏に棒樋を掻き通す。
大磨上、先深い栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、無銘。
説明 雲生・雲次・雲重らの刀工は備前国宇甘荘に在住し作刀したが、いずれも名前に「雲」の字を冠するところから雲類と呼称されている。彼らの作風は備前物中異色で、山城物(とりわけ来派)あるいは隣国の備中青江派の風情が見られる。雲次には正和四年・文保二年・建武二年の年紀が見られることから、その活躍期は鎌倉時代末期乃至南北朝期初頭であることが知られる。この刀は一見青江風もあるが、指で押したような暗部の目立つ映りが立ち、姿が大磨上乍らも輪反り風が窺われること、また帽子がいかにも丸い点などを考慮すれば雲次と鑑するのが妥当である。前田家に伝来した一口である。時代の外装である半太刀拵が付随する。