商品名 | 重要美術品 太刀銘 雲生 上総国大多喜藩主 大河内家伝来 | ||
銘 | 雲生 | 作者 | 備前国宇甘郷 雲生 |
時代 | 鎌倉時代末期 | 伝来 | 上総国大多喜藩主 大河内家 |
指定 | 昭和9年3月20日 文部省 | 鑑定書 | 重要美術品 |
価格 |
刃長 | 73.63糎 | 反り | 2.12糎 |
元幅 | 2.9糎 | 元重 | 0.55糎 |
先幅 | 1.8糎 | 鋒長 | 2.8糎 |
茎長 | 20.3糎 | 茎反り | 僅か |
形状 | 鎬造り、庵棟、身幅ほぼ尋常、磨上なれど反り高く、踏張り残り、元幅と先幅に開きあり、中鋒やや詰まる。 |
鍛
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板目に杢交り、地班入り、総体に肌目が立ち、乱れ写り鮮明に立つ。 |
刃文 | 直刃調に浅くのたれかかり、小互の目と小丁子ごころの刃・角ばる刃など交り、処々楔状の尖り刃が見られ、逆足・葉頻りに入り、刃中淡く二重刃風を呈するところあり、小沸よくつき、砂流し・金筋かかる。 |
帽子 | 直ぐに大丸風で返りが短い。 |
彫物 | |
茎 | 磨上、先切り、鑢目大筋違、目釘孔二。 |
説明 | 雲生・雲次・雲重ら宇甘派の刀工は、皆その名に(雲)を冠するところから雲類と呼ばれる。宇甘の地は備前国でも長船より遥か西北方、備中国に近接する所に位置し、現在の御津郡御津町に当る。青江物の風情が加味されている点が興味深く、このことは上記の地理的な条件からも肯けよう。つまり、板目にめだって杢が交り肌目が立って地班を交える肌合や、写りを助成する暗帯部が判然としかも不規則に表れるところ、直刃に逆足を交え刃中に葉と滲んだような島刃が頻繁にかかる点、また刃方を厚く造込んだ茎・大筋違の鑢目・逆鏨の強調された銘字などは青江に共通するものである。しかし一方で輪反りの太刀姿や帽子を直ぐにいかにも丸く焼くところには京風が一部混在している点があって注目される。雲次には(備前国住雲次)・(備前国住人雲次)などの長銘と二字銘の双方が見られ、何れも目釘孔の下ほぼ中央に切るが、雲生には長銘は稀であり、多くは二字銘を目釘孔の上棟寄りに切るのが通常である。(校正古刀銘鑑)に拠れば、雲生には三代あって、初代を乾元頃、二代を文保頃、三代を貞治頃とし、初代雲生の子に初代雲次、二代雲生の子に初代雲重があり、以後雲次に三代、雲重には二代があったとしている。この系譜の細かな代別がどこまで正鵠かは明確にし難く,後考に俟つべきであるが、雲生で貞治頃と鑑せられる作は未だ見たことがない。雲生には年紀作が無いが、作風・銘振りから雲次よりも古びてみえるものが存在すること、雲次に正和・文保・建武の年紀があり、また雲重に文和・貞治・応安があることからして、年代的に雲生ー雲次ー雲重と言う流れは無理のなくぃところである。雲生と雲次の作風は当時の真長・景光などの長船派主流にも似るが、 野趣が感ぜられ、地刃の態および茎の状に備中例で、(生)を(雲)に比して右側に寄せて切る手癖が窺える。雲生の数少ない長銘(備前国住雲生)・(備前国宇甘郷雲生)・(雲生 備前国住人)を見ると、(国)の字のクニ構えの中が雲次や雲重の如く王や玉にならないのが知られる。雲生の刃文には焼きの低い手がある半面、本作のように焼きの目立って高ものもあり、雲生の見どころの一つとされる焼落しを見せるものは前者である。この太刀は上総国大多喜藩主、大河内家(持高二万石・子爵)に伝来したもので、雲生の特色をよく示し、出来栄え・保存ともに屈指の一口である。 広島城古刀名品展、日本刀大鑑古刀二177頁、刀影摘録772頁、木屋押型八折、 名品刀絵図聚成139頁、刀剣美術 昭和59年1月号口絵等所載 |