商品名 | 重要刀剣 国広 | ||
銘 | 国広 | 作者 | 山城国 国広 |
時代 | 安土桃山時代 | 伝来 | 飫肥 伊東家伝来 |
指定 | 昭和59年10月18日 | 鑑定書 | 第31回重要刀剣 |
価格 |
刃長 | 70.85㎝ | 反り | 1.0㎝ |
元幅 | 3.0㎝ | 元重 | |
先幅 | 2.1㎝ | 鋒長 | 4.2㎝ |
茎長 | 21.1㎝ | 茎反り | なし |
形状 | 鎬造、庵棟、身幅尋常、反り浅く、中鋒延びる。 |
鍛
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板目に杢目交じり、処々流れて肌立ち、地沸つき、地景いる。 |
刃文 | 浅い小のたれを主調に小互の目・尖りごころの刃など交じり、総じて焼巾狭く、処々足入り、沸よくつき、ほつれ、砂流し・金筋かかり、匂口沈みごころとなる。 |
帽子 | さかんに掃きかけ火焔風となる。 |
彫物 | |
茎 | 磨上、先切り、鑢目筋違、目釘穴二、指表元穴の下、棟寄りに二字銘がある。 |
説明 | 国広は、もと九州日向の飫肥の城主であった伊東家に仕えた武士で、同家が没落したのち、諸国を遍歴しつつ、鍛刀の技術を磨き、その間各地で作刀した。慶長4年以後は、京都一条堀川に定住し、多くのすぐれた子弟を育て、慶長19年に没したといわれる。彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作には末相州や末関のものが見られ、定住後は、それらのものと作風を異にして、相州上工に範をとったと思われるものが多い。この刀は、常に見る国広の作に比べ、華やかさがなく地味ではあるが、浅い小のたれを主調に小互の目・尖りごころの刃などを交え、沸よくつき、砂流し・金筋がかかるなど志津風を感じさせるものがある。定住後のいわゆる「堀川打」の作例であり、国広の一作風を示している。 |



