商品名 | 第38回重要刀剣 河内守藤原国助 | ||
銘 | 河内守藤原国助 | 作者 | 二代河内守藤原国助 |
時代 | 江戸時代正保頃 | 伝来 | 大阪 |
指定 | 平成4年10月30日 | 鑑定書 | 重要刀剣 |
価格 |
刃長 | 82.05㎝ | 反り | 1.6㎝ |
元幅 | 3.05㎝ | 元重 | |
先幅 | 2.0㎝ | 鋒長 | 3.1㎝ |
茎長 | 20.9㎝ | 茎反り | なし |
形状 | 鎬造、庵棟、元先の幅差つき、やや長寸、重ね厚目、元に踏張りごころが見られ、反りやや深くつき、中鋒つまる。 |
鍛
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小板目肌よくつみ、地沸細かに厚くつき、地景入る。 |
刃文 | 直ぐに焼出して、その上は丁字に互の目・小互の目・尖りごころの刃など交じり、足入り、匂深く、沸が厚くよくつき、総体に砂流しかかり、金筋入り、僅かに小さな飛焼を交え、棟を焼き、匂口沈みごころとなる。 |
帽子 | 直ぐに小丸に深く返り、先掃きかける。 |
彫物 | |
茎 | 生ぶ、先細って刃上がり栗尻、鑢目大筋違、目釘穴一、指表棟寄りに、やや太鏨大振りの長銘がある。 |
説明 | 本刀は、特にその銘振りから、従来初代河内守国助の作とされてきたものである。しかし、近年河内守国助の研究が進んだ結果、今日だは、この種の銘振りのものは、二代河内守国助の初期作であるとするのが通説である。国助の研究に於いて、最も重要な文献資料として挙げられるものに、大坂の竜海寺過去帳がある。これは、国助各代の没年が明らかにされているもので、これによると初代国助は正保4年5月30日に没したことが理解される。そして初代が没した直後、すなわち、「正保4年8月吉日」紀の河内守藤原国助銘の刀から二代の作刀が始まり、その後、翌年の慶安元年紀、さらには、同三年紀の河内守藤原国助の作が遺存する。しかもこれらの作風の殆んどが、初代作に見える点が注目される。本作は、上記の慶安元年紀及び同三年紀と全く同一の銘振りであることから、ほぼこの期に製作された二代の初期作であることが察知される。この刀は、小板目肌がよくつみ、地沸が細かに厚くつき、地景の入った鍛えに、直ぐの焼出しが見られ、その上は丁字に互の目・小互の目・尖りごころの刃等が交じり、沸が厚くつき、金筋・砂流しかかり、匂口が沈みごころとなるなど、正に前述の如く、初代宛らの出来映えを示している。但し、子細に鑑ると、初代の常々の作に比して、刃取りに華やかな感があり、また焼出しが上に行くに従って徐々に刃巾を増していく初代通例のものとは相違して、上に行っても同じ刃巾で均等に焼いているなど、やや趣を異にしている点に、二代の見どころが垣間見られる。初代に比肩する作柄で出来がよく、二代が青年期に於いて既に高い技量を持ち合わせていたことを首肯させる一口である。 |