重要刀剣 川部儀八郎藤原正秀

商品名 第11回 重要刀剣 川部儀八郎藤原正秀
川部儀八郎藤原正秀 応長谷川次則需作之 寛政元年8月日 作者 水心子正秀
時代 江戸時代後期 伝来
指定 昭和36年10月25日 鑑定書 重要刀剣
価格
刃長 2尺3寸5分(71.2㎝) 反り 4分5厘(1.36㎝)
元幅 9分8厘(2.97㎝) 元重
先幅 6分8厘(2.06㎝) 鋒長 1寸1分(3.33㎝)
茎長 7寸8分(23.6㎝) 茎反り
形状 鎬造、庵棟、反り浅く、中鋒。
小板目肌よくつみ、地沸よくつく。
刃文 広直刃調に浅くのたれて足入り、匂深く、小沸よくつき冴える。
帽子 直ぐに先小丸、掃きかけかかる。
彫物
生ぶ、先刃上栗尻、鑢目筋違、化粧鑢かかる、目釘穴二、一ッは忍穴、指表に長銘、裏に注文主銘及び年紀がある。
説明 水心子正秀は川部儀八郎と称し、姓は藤原、始め武州下原鍜治吉英に学んで鈴木宅英又英国と称したが、安政3年正秀と改め、正日出、正日天、などと洒落銘もある。山形秋元家に仕え、後に江戸浜町に移った。正秀はいわゆる復古刀の説を唱えて、刀はすべて鎌倉の昔に復すべきであるとし、自らも備前伝或いは相州伝の作を試みているが技倆は弟子の大慶直胤に及ばない。天明・寛政・享和のころは主として、大阪新刀に私淑し、或いは津田助廣の濤瀾乱れとか、或いは井上真改の直刃丁子などを焼いて大いに成功している。この刀も真改写しの傑作で殆んど本科に迫るものがある。強いてその相違点を挙げれば、水心子の作は一般に平肉が乏しくペシャンとした感じがあり、必ず鋒が延びごころとなり、また地がねも綺麗ではあるが、黒ずんだ荒沸がつき、めくらがねに近く、刃も匂深く明るく冴えてはいるが、どこかに荒沸がつくところがあるなどの点にある。

重要刀剣 金象嵌銘 兼光

商品名 第36回 重要刀剣 金象嵌銘 兼光(刀)
金象嵌銘 兼光 作者 備前国長船兼光
時代 南北朝時代前期 伝来
指定 平成2年5月25日 鑑定書 第36回重要刀剣
価格
刃長 72.3㎝ 反り 1.9㎝
元幅 3.1㎝ 元重
先幅 2.3㎝ 鋒長 4.3㎝
茎長 22.1㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅広く、中鋒延びる。
板目肌、杢交じり、肌、立ちごころに地沸つき、乱れ映り立つ。
刃文 小のたれを主体に小互の目交じり、小足入り、金筋・砂流しかかり、小沸よくつく。
帽子 浅くのたれ込み、小丸やや突き上げごころに返り、先掃きかける。
彫物 表裏に棒樋を掻き流す。
大磨上、先栗尻、鑢勝手下り、目釘穴二、指表目釘穴の下中央に「兼光」と金象嵌銘がある。
説明 備前長船の金光は長光・傾向に続く長船の嫡流であり、南北朝時代を代表する投稿である。昨冬期間は元亨から応安にかけての50年の長きにわたっているが、ほぼ康永頃を境に作風が大別され、以前は景光風を継承したもの、以後はのたれを多く焼いて沸気のあるものがみられる。この刀は身幅が広く大鋒の南北朝期の豪壮な姿を示し、地刃に兼光の特色がみられて本阿弥琳雅の極めは首肯され、健全な作である。時代の外装1、現代の名工の外装1があります。

重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光児島

商品名 第26回 重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光児島作
備前国住長船勝光宗光児島ニテ作文明16年甲辰8月吉日 作者 備前国長船右京亮勝光、左京進宗光児島作
時代 室町時代中期 伝来 赤松家、勝光・宗光が戦勝祈願に作刀
指定 昭和54年3月2日 鑑定書 第26回重要刀剣
価格
刃長 74.1㎝ 反り 2.0㎝
元幅 2.9㎝ 元重
先幅 1.9㎝ 鋒長 3.5㎝
茎長 16.2㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、寸長く先反りやや深く、中鋒。
板目肌、地景入り、地沸つく。
刃文 直刃僅かに互の目交じり、小沸つく。
帽子 直ぐに丸く返る。
彫物 表裏、丸止の棒樋。
生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、指表、二行に長銘、裏棟寄りに文明年紀がある。
説明 末備前の代表工勝光・宗光兄弟の児嶋駐槌の一口で、俗名はないが、それぞれ右京亮勝光と左京進宗光である。地がねは地景を交じえたは板目で地沸が細かによくつき、刃文は僅かに互の目交じりの直刃で小沸がつき、帽子は直ぐに先丸く返っている。出来のよさも然る事ながら、銘文の資料価値も高い。  合戦に敗れて赤松政則は近畿へ敗走、勝光・宗光は細川領の児嶋に逃げ込みここで赤松政則の戦勝祈願をして作刀した刀と脇指です。

重要刀剣 備前国長船右京亮勝光 左京進宗光(脇指)

商品名 第33回 重要刀剣 備前国長船右京亮勝光・左京進宗光
備前国住長船右京亮勝光同左京進宗光児嶋ニテ作 文明16年甲辰8月吉日 作者 備前国長船右京亮勝光・左京進宗光
時代 室町時代中期 伝来 赤松家、戦勝祈願の作刀
指定 昭和62年3月25日 鑑定書 第33回重要刀剣
価格
刃長 53.2㎝ 反り 1.2㎝
元幅 2.8㎝ 元重
先幅 1.9㎝ 鋒長 3.3㎝
茎長 12.9㎝ 茎反り 僅か
形状 鎬造、庵棟、重ね厚く、寸つまり、先く返りつき、中鋒。
小板目肌つみ、地沸細かによくつき、地景入り、淡く映り立
刃文 直刃を基調に処々浅くのたれて、小互の目ごころを交え、足・葉入り、ほつれ、細かに砂流しかかり、匂口しまりごころに沸つく。
帽子 焼深く、直ぐごころに丸く長く焼き下げる。
彫物 表裏腰元、鎬筋を中心に、表は倶利伽羅、裏は梵字・その下に三鈷剣。
生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴二、指表に「勝光」・「宗光」の合作銘と駐槌地を二行に切り分け、裏棟寄りに年紀がある。
説明 長船右京亮勝光は次郎左衛門尉勝光の父といわれ、左京進宗光は右京亮勝光の弟と伝えてる刀工であるが本作はこれら兄弟が合作したものである。この刀は、身幅尋常中鋒で、重ねが厚く、寸つまり、先反りのついた体配で、室町末期という時代よく示した打刀の造込み、を呈している。地鉄は小板目がつんで、地沸が細かによくつき、淡く映り立ち、刃文は直刃を基調に小互の目ごころを交え、足・葉が入り、匂口しまりごころに小沸がつき、帽子は焼深く直ぐごころに丸く長く返るなど末備前の作風を示しているが、とりわけ、忠光などによく見られる作柄である。また、表裏に施された彫物も同派の特色をよくあらわして見事である。なお、銘文に見る児嶋は備前の地であり、ここで彼らが駐槌したものである。両者の合作刀で、文明十六年の後期頃から同十九年の前期頃にかけての、ままこの児嶋打が見られるが、さらに、この間、備中の草壁でも駐槌したものも経眼する。この児嶋打の一口も、彼らの動向を知る上において一助となる貴重な資料である。合戦に敗れて赤松政則は近畿へ敗走、勝光・宗光は細川領の児嶋に逃げ込みここで赤松政則の戦勝祈願をして作刀した刀と脇指です。

重要刀剣 美濃国藤原永貞

商品名 第39回 重要刀剣 美濃国藤原永貞
美濃国藤原永貞 佐藤義問所持      元治元甲子年五月於東都作之 作者 美濃国藤原永貞
時代 江戸時代末期 伝来
指定 平成5年11月5日 鑑定書 第39回重要刀剣
価格
刃長 72.4㎝ 反り 1.4㎝
元幅 3.25㎝ 元重
先幅 2.4㎝ 鋒長 4.1㎝
茎長 23.2㎝ 茎反り 僅か
形状 鎬造、三ッ棟、身幅広く、重ね厚く、反り浅くつき、中鋒やや延びごころ。
小板目肌つみ、地沸厚くつき、地景細かにいる。
刃文 互の目乱れに大互の目・頭の丸い互の目・尖りごころの刃などが交じり、華やかに乱れ、足・葉さかんに入り、匂深く、沸よくつき、やや荒目の沸を交え、砂流しかかり、金筋入り、物打辺僅かに棟を焼き、匂口が明るい。
帽子 横手を焼き込んでのたれ込み、丸く深く返り、先掃きかけ,表沸くずれる。
彫物
生ぶ、先刃上がりごころの栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘穴一、指表目釘穴の下棟寄りに、大振りの長銘があり、裏に同じく年紀とその下に「於東都」の駐鎚地銘があり、その横平地に大振りの所持者銘がある。
説明 永貞は、本名を松井治一郎と称し、文化6年、美濃国不破郡(現在の岐阜県垂井町表佐一色四番屋敷)に松井直三郎の子として生まれた。彼は、一時、紀州徳川家の御用鍜治として紀州に移住したと伝えられ、また、万延元年頃には伊勢国田丸に於いても鍛刀した。その後文久2年頃、江戸青山に住して作刀し、明治2年、60才で没したといわれる。なお、普段の銘文に見られる「御勝山麓」といったものと思われる。この刀は、身幅が広く、重ね厚で、反りが浅く、中鋒が延びごころとなった、ガッチリとした豪壮な造込みを見せており、新々刀の特徴的な姿恰好を呈しているが、とりわけ本作のように三ッ棟の多いところにこの工の特色が示されている。刃文は互の目乱れに大互の目・頭の丸い互の目・尖りごころの刃などが交じり、足・葉がさかんに入り、匂深く、沸がよくつき、荒目の沸を交え、金筋・砂流しかかるなど、清麿一門に見紛う作柄をあらわしている。担し、刃中に、清麿一門によく見受けられる丁子がかった刃や角ばる互の目などは見られず、むしろ大互の目や頭の丸い互の目等が目立ち、帽子も先が丸く返っているところなどに、清麿一門とは異なった同工の見どころが窺われる。同作中でも華やかな作域を示した出色の一口で匂深くで、沸がむらなくよくついて、匂口が明るい点が特筆され、加うるに地刃ともに健全であることも好ましい。

特別重要刀剣(一ッ葉葵紋)主馬首一平藤原朝臣安代 享保12年3月吉日於薩刕給黎郡作之

商品名 第14回特別重要刀剣(一ッ葉葵紋)主馬首一平藤原朝臣安代 享保12年3月吉日於薩刕給黎郡作之
主馬首一平藤原朝臣安代 作者 薩摩国主馬首一平安代
時代 江戸時代中期 伝来 阿波国蜂須賀家伝来
指定 平成8年5月29日 鑑定書 第14回特別重要刀剣
価格
刃長 76.9㎝ 反り 1.5㎝
元幅 3.0㎝ 元重
先幅 2.2㎝ 鋒長 3.8㎝
茎長 23.2㎝ 茎反り 0.1㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅やや広く、元先の幅差あまり開かず、鎬高く、反り浅めにつき、中鋒。
小板目肌よくつみ、地沸厚くつき、地景いる。
刃文 中直刃浅く湾れごころをおび、匂深く、荒目の沸厚くつき、部分的に黒く地へこぼれ、金筋・沸筋かかる。
帽子 直に大丸、沸崩れごころとなる。
彫物
生ぶ。先栗尻、鑢目檜垣、目釘穴一、佩表鎺下棟寄りに一ツ葉葵紋と、目釘穴の下に同じく長銘があり、裏は目釘穴の下二行にわたって年紀と作刀地銘がある。
説明 一平安代は通称を玉置小市といい、一平安貞の長男として延宝8年に生まれた。初め父について鍛刀の技を修め、後には大和守安国にも師事したといわれる。享保6年八代将軍吉宗の命により、同国の正清と共に召し出されて江戸御浜殿で作刀、その技量を認められて幕府より茎に一葉葵紋を切ることを許るされた。さらに江戸よりの帰途、朝廷より主馬首に任ぜられている。彼は正清と並ぶ薩摩新刀の双璧であるが、正清がのたれに互の目・尖り刃等を交えた変化のある乱れ刃を得意とするのに対し、安代は穏やかなのたれ調の直刃を焼いて特色を示している。この刀は、地鉄は小板目肌が極めてよくつみ、刃文は中直刃調、沸が荒くつき、いわゆる薩摩の芋蔓と称される沸筋がかかるなど、一平安代の典型的作風をよくあらわしている。身幅が広く手持ちの重い豪壮な体配がよく、匂口は至って深く、光の強い沸が厚くつき、地刃共に明るく冴えた同作中の優品である。

重要美術品 太刀銘 古青江末次 越後国村上藩主 内藤家伝来

商品名 重要美術品 太刀銘 古青江末次 越後国村上藩主 内藤家伝来
末次 作者 備中国 末次
時代 鎌倉時代前期 伝来 越後国村上藩主 内藤家
指定 東京都教 15723号 昭和26年3月30日 鑑定書 重要美術品
価格
刃長 71.2糎 反り 1.95糎
元幅 2.91糎 元重 0.6糎
先幅 2.05糎 鋒長 3.1糎
茎長 茎反り
形状 鎬造、庵棟、身幅やや広めで、磨上げながらも反りやや深く、中鋒。
板目に杢交り、処々流れごころあり、澄肌頻りに入り、地沸つき、鎬よりに備前風の映りあり、刃に沿っって筋状の映りが幾重にも立つ。
刃文 直刃調に互の目と僅かに丁子ごころの刃を交えて逆がかり、足・葉頻りに入り、匂い深く小沸よくつき、金筋かかり、匂口明るく冴える。
帽子 浅くのたれごころに先尖って返る。
彫物 表裏に棒樋、佩表は搔き通し、佩裏は搔き流す。
磨上、先きり、鑢目・(旧)大筋違、(新)切り、目釘孔二。
説明 備中国青江派の末次は銘鑑に古青江から南北朝の貞治まで数工をあげている。この太刀は直刃調に逆がかる互の目と丁子ごころを交え、刃中逆足・葉が頻りに働き、小沸で匂口が冴え冴えとした出来で、地刃の比較的に地味な古青江中にあって、異色な存在である。姿は身幅が広めであるが南北朝期のものほど鋒が延びておらず、またそれらが匂口の締まった匂出来となるのに比してこれは匂い深く小沸がよくついている刃中の素晴しい働きなどから見て、時代は鎌倉前期と思われる。地鉄は板目が杢立って澄肌を交え、一派の特色が顕著に窺える。透かして見ると鎬下に備前風の映り、刃に沿って筋状の映りが波状に二重・三重にあらわれ一種の段映りを呈しているが、鎌倉末期から南北朝期の段映りはほぼ直状の映りであり、ここのところが大きな違いであると共に刃中の素晴しい働きにも格段の違いを見せている。地刃の出来も保存状態もよく、此の工の技倆の高さをよく示した青江中の優品である。

重要刀剣 荘司筑前大掾大慶直胤(花押)

商品名 第34回 重要刀剣 荘司筑前大掾大慶直胤(花押)
荘司筑前大掾大慶直胤(花押)       文政6年仲春 作者 荘司筑前大掾大慶直胤(花押)
時代 江戸時代末期 伝来
指定 昭和63年4月14日 鑑定書 第34回 重要刀剣
価格
刃長 66.4㎝ 反り 2.0㎝
元幅 2.75㎝ 元重
先幅 1.9㎝ 鋒長 3.3㎝
茎長 19.0㎝ 茎反り 0.1㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、元先の幅差つき、重ね厚く、反り深くつき、中鋒。
小板目肌つみ、処々杢交じり、地沸つき、細かに地景入り、幽かに映り立つ。
刃文 互の目に角がかった刃・丁子・尖りごころの刃など交じり、処々僅かに逆ごころがあり、あし長くよく入り、匂勝ち小沸つき、細かに砂流しかかり、金筋入り、総体に匂口うるみごころとなり、刃中明るく冴える。
帽子 乱れ込んで先尖りごころにやや深く返る。
彫物 表裏に棒樋を掻き通し、添樋を掻き流す。
生ぶ、先栗尻、鑢目筋違に化粧つく、目釘穴二、佩表目釘穴より三字上げて茎中央(平地)に長銘と花押があり、裏に同じく目釘穴から四字上げて年紀がある。
説明 直胤は、安永7年に出羽国山形に生まれ、本名庄司「(荘司)箕兵衛(美濃兵衛)と称し、大慶と号した。文政4年頃に筑前大掾を受領し、嘉永元年に上洛して美濃介に転じている。彼は若年の折に江戸に出て、水心子正秀の門に入り、後に、師と同様に秋元候に仕え、細川正義と共に水心子門下の逸材となった。水心子入門の時期については明らかでないが、彼が23才の時の作刀に「庄司直胤 寛政13年正月日」の銘があることから、これより2,3年前の寛政11,2年頃と推定っされ、文化初年頃に独立したと考えられる。安政4年5月7日、75才で没している。この刀は、直胤が最も得意とした備前伝の作柄であり、角がかった刃が目立ち、しかも処々逆ごころが見られるところなどから長船刀工、就中、景光・兼光を狙ったものであろうか。殊に刃中が明るく冴えた出来口で、彼の特色がよく示された典型作であり、同作中の優品である。

重要刀剣 出羽大掾藤原国路

商品名 第11回 重要刀剣 出羽大掾藤原国路(刀)
出羽大掾藤原国路 作者 出羽大掾藤原国路
時代 江戸時代初期 伝来
指定 昭和38年10月25日 鑑定書 第11回重要刀剣
価格
刃長 2尺1寸9分(66.36㎝) 反り 6分5厘(1.97㎝)
元幅 1寸1分2厘(3.39㎝) 元重
先幅 8分7厘(2.64㎝) 鋒長 1寸8分5厘(5.6㎝)
茎長 5寸6分5厘(17.1㎝) 茎反り 5厘(0.15㎝)
形状 鎬造、庵棟、身幅広く反り浅く先反ややつき、中鋒大きく延びる。
板目に杢交り、ザングリとして肌立ちごころに地沸つく。
刃文 湾れに大互の目、互の目、丁字などを交え、飛び焼かかり、砂流ししきりに金筋入り、匂深く匂口よく冴えて小沸よくつく。
帽子 浅く湾れごころに掃きかけ、三品帽子風に、先尖って強く返
彫物 表棒樋、裏二筋樋、ともに掻流す。
生ぶ、先浅い栗尻、鑢目勝手下がり、目釘穴一、表、平に下の方次第に大振りの八字銘がある。
説明 出羽大掾藤原国路は堀川国広の門人で、脅威川辺に住したという。邦弘一門中では、作域が最も広く、種々の作風を見せているが、 この刀は志津の風を写して出来が最も優れている一口である。製作年代はその銘振りから見て元和七八年頃の作鑑せられる。但し同作中の白眉である。因に国路は慶長十九年から同二十年までの間に受領したと思われ、この銘振りのものは元和七八年頃の作である。

重要刀剣 無銘伝 甘呂俊長

商品名 第38回  重要刀剣 無銘伝 甘呂俊長
無銘 作者 近江国甘呂俊長
時代 南北朝時代 伝来
指定 平成4年10月30日 鑑定書 第38回 重要刀剣
価格
刃長 70.55㎝ 反り 1.8㎝
元幅 3.0㎝ 元重
先幅 2.3㎝ 鋒長 7.5㎝
茎長 19.9㎝ 茎反り 0.2㎝
形状 鎬造、庵棟、身幅広め、反りややつき、大鋒。
板目に杢交じり、やや肌立ち、地沸つく。
刃文 中直刃調に小互の目交じり、小足入り、処々ほつれ、小沸つ
帽子 浅くのたれて、先頻りに掃きかける。
彫物 表裏に二筋樋を掻き流す。
大磨上、先剣形、鑢目勝手下がり、目釘穴二、無銘。
説明 甘呂俊長は古来高木貞宗の門人と伝えられている。現存する有銘作は太刀・短刀ともにあるが、これらを見るに鍛えには柾気があり、刃文はほつれて二重刃かかり、帽子も掃きかけるなどして総体に大和気質が見られるところに特徴がある。この刀は中直刃調に小互の目を交え、小沸つき、処々ほつれを見せ、特に浅くのたれ込んだ帽子は沸ずいて頻りに掃きかけ、一見高木貞宗風でそれに大和色が加味された出来となっており、甘呂俊長と鑑するのが妥当である。渋味のある中にも、ほつれ・飛焼・湯走りなどの細かな働きが見られ、見所の多い作品である。